自民党改憲草案を読む 〜第一章天皇〜

おはようございます!先日前文を読んだので、今日は天皇の章ですね!

ではでは早速本題に入りましょう。

現行憲法

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

改憲

第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴出会って、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく

元首とは:主権国家の代表者、行政府の長であることもある存在

自民党草案のQ&Aには、現在も外交儀礼上元首の扱いを受けている。元首と規定することに賛成票が多かったからと書かれている。ただ、その元首の定義が書かれていない。せっかく規定するならば、それは行政の代表ではないと明文化するべきだと思う。

 

 

現行

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

現行

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

天皇の権能と権能行使の委任〕

改憲

第六条4項 

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。ただし、衆議院解散に関しては内閣総理大臣の進言による。

 

 

自民党案は、助言と承認が進言に変わっている。自民党側は、助言と承認というのが天皇陛下に対して尊敬を害していると言っているが、本当だろうか。助言と承認が同時に行われているので、進言でも良いと語っているが、どういうことだろうか。進言では、進言はするけれども天皇陛下の意思で違うことをしても良いという解釈も生まれて、この後様々な問題が生じてくると思う。これは習字的に丁寧な言葉かどうかの変更ではなく、言葉の意味が変わってしまっている。ただ礼を欠くから変更したいわけではないと思う。憲法が権力者を拘束するものという意義があるのだとすれば、シビリアンコントロールをより具体的に確実にしているのは、現行の憲法の文言であると考える。

 

 

現行第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 

改憲案第五条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない。

改憲案第7条3 天皇は、法律の定めるところにより、前2項の行為を委任することができる。

 

ほぼ改憲案の第五条だが、「のみ」を削除したのでしょうか。上記の理由でこれは本当に例の問題なのか、憲法としてシビリアンコントロールをより完璧にするのかの議論は必要。ただ立憲主義を選択するのならばその答えは明白ではないか。

 

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 

改憲案第7条に移設

 

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 

改憲案第六条 天皇は国民のために、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命し、内閣の使命に基づいて最高裁判所の長である裁判官を任命する。

ほとんど同じ

 

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 国会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六 大赦、特赦、減刑刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七 栄典を授与すること。

八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九 外国の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。

 

改憲案 6条:上記の内容から、「助言と承認」を削除

国事行為の内容はほとんど同じ。言葉遣いをわかりやすくした形になっている。

 

〔財産授受の制限〕

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 

改憲案第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与するには、法律で定める場合を除き、国会の承認を経なければならない。

 

「助言と承認」は天皇に対して失礼、そして助言と承認は一つでセットだからわざわざ書く必要ないという理由で、進言に変更している部分があったが、ここでは承認を経ると変更している。これは自己矛盾している。やはり、助言と承認という言葉が、進言で完全に置き換わるわけではないと自民党案が示している。

 

改憲案新設

第三条 

1項

国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。

2項

日本国民は日本国旗及び国歌を尊重しなければならない

 

ここは権力者を縛るというよりも、自民党が思うあるべき国家や国民像の押し付けのような文章だと思う。確かに他の国、例えばアメリカ合衆国ではとにかくいろんな場面で国歌が演奏され、胸に手を当てて聞くことがほとんどだが、アメリカでは憲法に明言はない。それだけでなく、裁判所の判例として、起立敬礼に反抗することは国民に許された権利だと言われている。

 

ちなみに自民党は、国民として国歌と国旗を尊敬することは当たり前であり、新しい義務が生ずるわけではないとこの新しい条文を含めたようだが、国民として当たり前という論理で、兵役や他様々なことも認めることができるような世の中にあるのではないか。そう言った「当たり前のこと」という無思考のゾーンにある事柄を一度考え直して、義務にするのか自由にするのかということを議論し定義するのが憲法を作成するということであり、当たり前なことを義務ではないと主張することは、憲法作成を怠っていることの現れだと思う。せっかく規定するならば、正直に新しい義務というべきでは無いだろうか。

その上で、所謂普通の国を自らの手で作りたいのであれば、憲法に国旗や国歌のことを規定する必要はないと私は考える。それは国民一人一人が考えて決めること。過去の日本を振り返った上で国に誇りを持つのかについては個人の自由であっていいはず。誇りを持てる国を作ればいいだけの話。自民党に規定されるのは違うし、権力者を縛る憲法において、国民が国民自身を戒めなくてもよろしいでしょう。

 

改憲案第4条 元号は法律の定めるところにより、皇位の継承が会ったときに制定する。

一世一元の制を日本の守るべき文化という意図が取れる。個人的には、一世一元の制は明治以降の文化のため、そうでなくても良いとは思う。江戸時代より前は元号天皇と関係なくあったから。しかし、元号ができる前の太鼓の日本を表すために神武天皇何年と数えていたことを考えると、一世一元こそ原始日本の年の数え方だというふうに考えることもできるのでより複雑。ただ、改元により無駄に税金を使うことになるのならば、一世一元の方が良いと思います。

 

とまあこのぐらいでしょうか?

総論

天皇は、2600年以上、考古学的にも認められる時点からでは約1500年ほど前から続くものなので、これを守ることが伝統だ、大切にしなくてはいけない、という意見はよくわかります。ただ、皇帝、王様に類するものである以上、しっかりと国民の人権と主権が守られる、つまり政治制度で言えば、シビリアンコントロールが働いているということをしっかりと明記するのが、憲法のあるべき姿だと思われます。自民党案は、特に助言と承認という言葉をとにかく使わないように書かれていますが、代わりに使われている進言は曖昧な気がします。ただ天皇陛下への敬意が足りないということならば、二重敬語で表現すればいいのではないか?助ける、認めるという行為自体が礼を欠くということならば、それはシビリアンコントロールに反していると思う。その辺りをしっかりと議論するべきでしょう。

 

では今日はこの辺りで